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彼女は暫く其処に佇んだ。物寂びた森閑とした境内に立っていると、失業だ飢餓だ住宅難だと渦巻いている世の中が段々遠くへ霞んでいってしまいそうな気がした。 本堂の暗い仏殿の奥には、何やら黒い木像らしいものが安置されてあった。 そして本堂の次の広間には、造花だの火鉢だの蒲団だのという死者の土産物が並んでいた。その上の長押にはまた広告ビラのように無数の紙片が貼りつけてあった。各壇家が競争的に寄附したものと見えて、万にも千にも近い金額や姓名が記されていた。 中には金でなく株券や田畑を寄附している者もあるが、それも金額の高低の順に貼り出されてあるらしかった。 彼女は其処から二三度案内を乞うたが、香の匂いが深くたちこめているだけで人影もなかったので、更に本堂の右手に見える住職の住宅であるらしい、大きい玄関の前に立った。其処ではラジオの拡声機が長唄か何かを放送していた。 「御めん下さい」 彼女は三四度声をかけて見たが、奥迄はその声が徹らないらしかった。色々の調子を変えて呼んで見た。すると奥から衣摺れの音がして三十格好の梵妻らしい粋な女が出て来た。が、女は彼女の服装を下から上へと逆に一瞥しただけで玄関の突き当りの電話室の硝子戸の中に入ってしまった。 此処は典雅な本堂を見た眼には、闇と光りのように趣きが異う。相場師の住宅という感じがあった。 彼女は玄関に突っ立った儘、手持ち無沙汰に木の香の新しい周囲を見廻していた。その瞬間、ふと先刻の本堂で見た莫大な寄附金が何に使われたかに気附いた。勿論この住宅も電話も檀家の寄附によって新造されたものだろうと思った。 そして彼女は無意識に、懐中の永代経料に手を宛てた。そこには、あの倹約な祖母が、一日に何遍も数えて溜め遺した、そして今この傲奢な宗教家の生活の中に溶け込もうとする百円があった。 その時、彼女の背後に、「お帰りいッ」と勢のいい車夫の声がして、一台の俥が梶棒を下ろした。すると先刻から何度呼んでも出て来なかった坊さん達が、ただ一声で三人許り出て来て玄関の敷台に膝を突いた。 俥から現れたのは、酸漿(ほおずき)のように赤く肥った中年の僧侶だった。法衣こそは纒っているが、金ぶちの眼鏡の下には慾望そのもののような脂肪(あぶら)ぎった贅肉が盛り上がっていた。 用事は簡単なのだったから彼女はそれが住職だと知ると、早速来意を告げて、懐中から例の紙幣を取り出した。 新しい五円紙幣二十枚、括った帯封には、親戚の老人の手で、 一金一百円也 永代経料 × × 寺 殿 × × 家